春めいたので横濱にでかけた。関内で降りて、まずは牛鍋荒井屋本店へ。牛鍋の老舗店舗は往時のままの磨きこまれた木造のつくり。評判の牛鍋ランチを頼むと子どものころ、祖母がつくってくれたのと同じ匂いのすき焼きが。醤油、砂糖、みりん、だしの按配のいいのを卵につけて、シジミの味噌汁と一緒だもの。ご飯が進むこと。
さて、食後は馬車道を海の方に向かってそぞろ歩くと関内ホール一階にスカーフ専門店の横濱工房。少しレトロな雰囲気がなじむので入ってみた。浜畑賢吉似のご主人に「拝見していいですか」と声をかけて、奥に進むと「エアカシミア」なる手書きラベルの製品。なんだろうと手にとっていると主人が色違いをもってきてくれる。白からグレー、黒、ロイヤルブルーのグラデーションの大判の一枚。「雲南省の奥で細い毛のカシミア山羊を育てる人たちがいて、色つけまでこちらで面倒をみてつくっているんですよ」。紺と白のストライプパンツに白コートの私にふわりとかけてくれる。手にとった頃合いをみてピッタリの一枚を。こういう店は今日買わなくても次、また寄ってみたいと思う。
先へ進もう。おや、道の左側に中華料理の生香園本館、飾られている写真、どっかで見た顔。と思って五メートルも行ったら向こうから写真の顔が歩いてくるではないか。ああ、周富輝さんだ。あの人の店なんだね。降ってきたので急いでみなとみらい線に乗る。
山手で過ごして次の日、馬車道から野毛の方まで足を延ばしてみよう。と、街角のショーウインドの赤い靴のペンダントが目に。派手じゃないけれどしっかりしたものが並ぶ横濱宝石美術館Emera。入ってみようとしたが閉まってる。残念と去りかけたら白髪にキチンとスーツを纏ったご主人が「ご覧になっていってください」と開けてくれた。聞けば創業八〇年。「戦後焼野原になった馬車道に最初にできた復興住宅の一階で父が開いたのがこの店で、横濱で一番古い宝石屋なんですよ」「親父の頃は飛行機もなくて横濱の港から船で外国に製品を出す時代でした」と話は止まらない。帰り際、「また遊びにきてください」「はい、きっと来ます」。
ああ、今日もいい日だ。そうだ、昨日会ったのも何かの縁、周さんの店でご飯食べていこう。ちょっといかめしい赤い二本の柱の間を通って店内へ。女性一人でも入りやすいようにほかのお客の目線をはずす席にすっと案内してくれた。見回すと一人で食べにきた女性は何人もいて、みんなそういう気遣いを貰っていた。熱いものが熱いうちにでてくるタイミング、味、こころづかい、料金、みんな結構!
関内界隈は気さく感とダークな隠微感とおいしいものと懐かしいものがぎゅっと詰まっている。古くから日本にあるものと外国から吹いてくる風と。この混沌がいい。やっぱり横濱は好きだ。
[2015.03.23]
TVで91歳の料理研究家の先生が「創作で行き詰ったら異質を取り込むのよ」と言っていた。彼女の原点は病苦の父のためにつくった「命のスープ」。8年も病で寝ていた彼女の父に「なんとかおいしくて栄養のあるものを食べてもらおう」と思い、ふと、日本に昔からあるおかゆに西洋のスープをかけてみた。なんとこれだけでもう立派なリゾット。簡単で栄養満点で「おいしい、おいしい」の逸品になった。この発想法でその後を築いた御大の料理教室は入るのに3年待ちだとか。
これまたTV。NHKプレミアムのThe Coversという番組で井上陽水がサルサバンド“オルケスタ・デラ・ルス”の演奏をバックに宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」をカヴァーしていた。母親である藤圭子譲りの恨み節的失恋ソングが、サルサのリズムという異質性で料理されて、やばいほど大人な、「ホテルはリヴァーサイド~」的パフォーマンスになっている不思議。カヴァーと言えば元の歌手がどっかで思い起こされるアレだと思ってた身には、目からうろこのため息。
異質性を取り込んで、は誰言わなくても世の中、あっちこっちで大勢の達人がやってきた技。このスパイスで料理はいろいろなヒトの手にかかって無限においしくなっていく。
[2015.03.13]